NGOミャンマー駐在員のハリキリノート

ミャンマーのタウンジーという町で、国際協力をやっています。NGO活動、ミャンマーあれこれ、国際結婚育児ネタなど

【追記あり】ミャンマーCOVID-19、ケース29(タウンジー)を徹底分析、同乗者の手記翻訳

ミンガラーバー。

ミャンマーのタウンジー在住の鈴木です。

 

ついに、我が町タウンジーでも陽性患者が出てしまいました。4月11日に発表されたケース29です。公式発表だけでは情報が少ないのですが、FBからたくさんの情報が集まってきて、だいぶ全体像が見えてきました。恐るべし、ミャンマー人のネット探偵能力です。

 

我が町のケースですので、自分の備忘録も兼ねて記録します。シャンに住んでいる日本人は少ないのであまり参考にならないかもしれませんが、ミャンマー人は自分の身近に感染者が出た場合、ここまで情報を集められるということを知る意味でも参考になればと思います。

 

注:こちらの記事は、ミャンマー政府の公式発表ではなく、Facebookの投稿をもとに書いています。なので、事実ではない可能性もあります。

 

<4月13日追記>

ケース29とカローまで同乗してきた人のFB投稿を翻訳。とてもリアルな隔離体験記で参考になります。

まとめも追記。

 

 

公式発表

ケース29:イギリス帰りのM男性、26歳、タウンジー

判明

(4月11日20:00発表)

シャン州タウンジー在住の26歳男性。3月28日にイギリスからミャンマーに帰ってきて、ヤンゴン国際空港からミンガラドンの決められた場所で隔離の指示を受け(Facility Quarantine)、検査を受けた。患者はタウンジーのセッサントゥン病院に入院する予定で、今の健康状態は良好である。

過去14日以内の渡航歴なし。

 

疑問点

この文章を読んだ時点で浮かんだ疑問点です。

 

・3月28日に入国し、4月11日だと13日しか経っていないのでは?過去14日以内の渡航歴なしと書いてあるのはなぜ?

 

・14日間の隔離は指示されただけで、隔離を受けずに勝手にタウンジーに戻ってきたのか?

 

・今患者はどこにいるのか?ヤンゴンで隔離を受けているので、陽性になったらウェーバーギー病院に行けばいいのに、なぜタウンジーの病院に入院させるのか?

 

これらの疑問が湧いてきましたが、Facebookで情報を探していると、タウンジー民の情報収集力により、様々なことが明らかになりました。

 

Facebookでわかった情報

ある姪の投稿

「私のおじと、ケース29」

 

ケース29(イギリス帰り)は、ヤンゴンの施設で、3月28日~4月11日朝まで隔離されていて、4月10日に検体を取られました。

 

しかし、結果が出る前に隔離の14日間が終了したので、タウンジーに戻ってきたのですが、タウンジーに着いたときに陽性だと判明したのです。(14日経ってから隔離施設から出ました)

 

道中では、公共のバスではなくて、私のおじさん(一緒に隔離されていて、隔離期間は終了)と一緒に車を運転して帰ってきました。(8-9時間くらい、エアコン車の中で一緒にいた)(おじさんはカローに住んでいる人です。ケース29はおじさんの車でカローまで一緒に向かい、彼の母と姉がカローまで迎えに来ました)

 

おじさんと親しかったわけではないですが、道が一緒だったので連れて帰りました。道中で食事をとった(お弁当を買って、店に座ってない)以外は、他の人と話をしたり、会ったりはしていません。今、おじさんに病院から電話が来て、病院に行く準備をしています。

 

メッセージ:隔離の人は検査をしてください。家に帰る前に結果が出るようにしてください。隔離の人も、結果がちゃんと出てから帰ってください。Silent carrierになる可能性があります。他の人や家族にうつしてしまうことがないように気を付けましょう。

 

Tachileik News Agency

「タウンジー陽性患者は、隔離期間の終了前に帰ってきて、家をロックダウンされた」

 

イギリス帰りで、ヤンゴンで隔離期間が終了する前にタウンジーに戻ってきた男性が陽性となったためにタウンジーのセッサントゥン病院に行き、車に一緒に載っていた人も病院で隔離されていることがわかった。

 

イギリス帰りで、ヤンゴンで施設隔離の期間終了前にタウンジーに戻ってきた。今は、施設隔離の期間満了近くだと10%が検査を受けている。検査をして、彼が陽性だったので、彼と連絡をとったところ、道中の彼に連絡がとれた。そして、夜8時すぎにタウンジーのセッサントゥン病院に送った。彼と同乗していたのは母親と姉。姉が車を運転していた。母は隣に座っていた。彼はカローに住む友人と後ろに座った。カローの友人はカロー病院で隔離を受けている。カローの友人の家族も隔離するよう、カローのトゥエオウに伝えた。問題は、彼の姉と母が病院での隔離に納得しないことだ。彼らは1台の車に乗ってきたので、病院での隔離を絶対にしなければならない。彼らを呼び出すために、彼らの家の通りをロックダウンするよう、タウンシップのオウチョウイエムに指示した、と、シャン州COVID-19予防委員会の代表、シャン州政府福祉大臣のドクターミョートゥンが、夜9時すぎに、Tachileik News Agencyに語った。

 

患者と一緒に車に乗ってきた家族が、ニャウンシュエホーゴン地区、ウーオー通りにある家に戻ってきたので、その家と道路を立ち入り禁止としたことがわかった。

 

タウンジーシーピンのFB記事

タウンジーシーピン(市役所的な存在)は、Facebookページでロックダウンされているところを公表していました。こちらは政府の公式情報となります。

タウンジーの地図

赤く囲まれたところがロックダウンされている場所

 

ケース29とカローまで同乗した人の手記(Facebook)(4月13日追記)

10日の夜にQuarantine14日が終了したという証書をもらうまで、俺はヤンゴンの家で自己隔離をしようと考えていた。困ったのは、母も父も80歳以上。妹が、彼女がまだ住めていないマンションに一人でいれば、と言った。カローに住んでいたのが長いので、夏のヤンゴンの西側を向いたマンションで、停電も多いとなれば、カローの家がいいよなと、カローに帰ろうと決めたんだ。カローの家は庭が広くて、庭に建物が3つあるからな。(訳注:彼の地元のシャン州カローは涼しい、ヤンゴンは暑い)

 

3月27日の夜中に到着したカタール航空に乗った72人は、3月28日から4月10日まで、テーイングー32隔離センターで、健康に過ごしてきた。隔離センターに入ったのは3月28日の午前12時くらいで、出られる時間は4月11日の朝9時だ。

 

妹から車を借りられたので、隔離センターの責任者には、ヤンゴンの住所を伝えたが、カローに一人で車を運転して帰るようになったと知らせた。

 

最初の予定では、11日の昼からヤンゴンの家で1泊して、翌日に一人で車を運転しようと思っていた。センターのボランティアグループ代表が、車を僧院の前に置いてくれて、消毒をして、センターの前まで運転してきてあげる、朝になったら家に帰らずにカローに直接行くほうが、コンタクトパーソンを減らせるからと、アドバイスをくれた。

 

父が高速道路に車が少ないので、何かあったら怖いからと、行かせたくないと言う。兄の一人は、途中の村が通行禁止にしていたらあれだから、行かせたくないと言う。最後に俺の考えで、車を僧院の前にもってこさせた。その車をボランティア代表がセンターまで動かしてきてくれた。車の中には、食べ物などが積んであった。

 

その夜に、だいぶ夜遅くまで、ボランティアが来ていたので、11時すぎまで寝れなかった。センターのボランティア代表が、タウンジーに帰らないといけない人を連れていってくれるかと聞いてきた。俺は、一人で車を運転して帰るよりも、二人なら仲間がいていいと思ったんだ。

 

最初は、隔離グループを昼食のあとで帰らせる予定になっていた。朝6時くらいに、8時から帰っていいと、朝食を配りながらスピーカーで放送された。荷物は夜から準備していたので、時間はかからなかった。俺のロシア帰り仲間から、若いやつが一番最初に帰った。そいつの家の車が早く迎えに来たからだ。彼が車に乗る前に、仲間たちで写真を撮った。若いやつは車の中で涙を流していたと、仲間が言っていた。一人減った俺のグループは、静かになってしまった。

 

朝8時すぎに、俺はコーヒー2杯を飲んだ。一緒に帰るE-2棟の彼の荷物を車に積めるように、車のドアを開けておいた。俺は水浴びをして、朝食のチャーハンを食べ、コーヒー2杯くらいをペットボトルにいれた。道中、眠くなったら飲むためさ。

 

俺たちと隣のF-5棟のグループが、エーヤワディーのほうに帰る。彼らは人数が多いから、ミニバス1台で、8時前に出発した。俺は出発準備が整い、9時になった。マスクをして、手袋をした。手袋をする前に、ルームメイトが「先に手を洗えよ」と注意してきたので、手を洗って、ハンドジェルを手に塗り込んだりした。

 

3番通りについて、一緒についてくる彼に「今何時?」と聞いた。ヤンゴンからカローまでの時間を計算したかったからだ。時間は、9:15だった。ゆっくり運転したら10時間くらいかかるので、夜7時くらいに着くだろうと思った。

 

道路に出てから、妹に電話をして、スムーズに出発したと知らせた。115マイルのセンターは店が閉まっていて、Denkoでガソリン95を満タンに入れた。8500ksだけかかった。同乗の彼が支払った。ガソリンスタンドいるときには、二人ともマスクをしていた。時間は11時45分くらいだった。

 

そのときから俺は手袋を脱いだ。手袋の中が汗で濡れて、どうしても運転しにくかったからだ。115マイルからネピドーの料金所までの間に2回休憩した。1回目は少しウトウトしたので、道の横の木の陰に車を止め、後ろにあったシャークの缶をとって飲んだ。シャークは飲みなれていない。いつも眠くなったらバッファローを飲むんだ。このときは、1缶全部は飲みたくなかったので、残りの半分を車に置いて、続けて運転した。(訳注:シャークとバッファローは、リポビタンD的な飲み物のこと)

 

運転しながら、眠気がなくならなかったので、残りも少しずつ飲んだ。それでもウトウトしてきたので、木陰に車を止め、持ってきたコーヒー2杯分を全部飲んだ。10分くらいかかったと思う。同乗している彼は、車から降りてこなかった。車のドアは、空気が入るように開けておいた。

 

ネピドーの料金所で少しもめた。ヤンゴンから出てきたときに、ピョーボエまでと言ってきたのに、ネピドーゲートで通行料を払う必要がないと思っていたからだ。あとで、2500ksというのは、ヤンゴン―ネピドー道路の通行料だとわかったので、料金を支払った。ヤンゴンの出口で料金を支払ったときは車の左側だったので、同乗の彼が金を払った。料金所ではいつも、二人はマスクをしていた。

 

ピョーボエパヤーガースー通りの料金所を過ぎたところで、アヒル卵のメットのおじさん(訳注:交通警察のこと)が車を止めて「ライセンスを見せろ」と言った。「俺は14日間の隔離から出てきて、ライセンスは財布と一緒に後ろの置いてある。ライセンスを見たければ出すよ」と言いながら、隔離センターがくれた証書を見せたら、後ろに下がって、「お疲れさまでした」などと言って行かせてくれた。

 

パヤーガースーについて、いつもガソリンを入れているHtooという店で、ガソリンを満タンに入れた。同乗の彼が先にトイレに行った。彼が帰ってきてから俺が行った。ガソリン代は俺が払った。

 

シャン州の端っこに入って、同乗の彼に迎えを呼ぶように言った。彼はタウンジーに電話をして、迎えにきて大丈夫だと言っていた。カローの入り口の通りに着く前の1マイルのところで、車の人をおろして体温を測っていたので、車からおりて体温を測られた。持ってきた隔離終了の紙も見せた。夕方の5時すぎくらいだったと思う。

 

町の中に入ると、CB銀行の車の入り口の前に車を止めた。荷物を車から降ろし、迎えにくる車を待った。車が着く前に、彼の電話番号と俺の電話番号を交換して、何かあったら電話すること、自分のせいで誰かに迷惑をかけないようにしよう、あと10日ちょっとくらい気を付けようと言った。同乗の彼は、彼の父の具合が良くないから気を付けると言った。

 

20分、25分くらい待って、彼の家の車が着いた。ピックアップカーだ。後ろの荷台に荷物を置くときに、荷物にも人にも、彼の姉が薬を撒いたので、俺も笑ってしまった。彼の母親とも話をして、健康に気を付けるように言った。家族3人、車の前に一緒に乗って、タウンジーのほうに向かっていった。俺も家に帰った。

 

家の前について、家にいる弟に電話をして、門を開けさせた。そして、庭にある車を弟に外に出させて、俺は車を中に入れた。俺が運転してきた車に薬を撒いて、一週間くらいこのまま置いておこうと考えて、庭の奥まで車を入れた。

 

道中、持ってきたお菓子を少し食べた。ジュースとコーヒーを飲んだ。持ってきたチャーハンは二人とも食べなかった。家では、マスクをして、弟と話をした。彼が俺にご飯をどこで食べるか聞いた。母屋の食堂で食べるか、木の小屋の横の台所で食べるか知りたいと。最初は母屋の上で過ごして、母屋の食堂で食べると言ってから、やっぱりやめた。

 

俺がいつもいる木の小屋の2階で過ごして、そこでご飯を食べると言った。持ってきた荷物をすべて、木の小屋の2階に運んだ。荷物を全部おろして、車の中と外のドアの取っ手に持ってきた消毒液を撒いた。アルコールのにおいがした。

 

一日中FBを見れなかったので、夕食すら食べずにFBを開いていたときに、電話がかかってきた。俺たちを隔離センターで診てくれていた医師だった。俺と同乗していた彼が陽性だった、とりあえず誰とも会うなと言われた。

 

いきなりのことで信じられなかった。少し時間が必要だった。電話が来てから、自分の運命を受け入れ、ヤンゴンのセンターに電話をして自分の家にいることと、ベストはつくしていることを伝えた。夜8時くらいに、女性が電話してきて、俺の名前を確認し、カローにいるのは本当かと聞いてきた。とりあえず家にいるように、州が連絡してくるはずだと言われた。

 

8時10分ごろにマンダレーの友人が電話してきた。ケース29がタウンジーだと言っているから、同乗してきた奴かなと思って、とのこと。電話がどんどんかかってくる。8時15分に、同乗した彼から電話が来て、自分のせいで困ったことになり、申し訳ないと言われた。彼が落ち込まないように励まして、家族のことを気を付けるように伝えた。

 

母屋にいる弟に電話をして、状況を伝えた。俺が触った風呂場、トイレと電気のスイッチを自分で消毒した。

 

そして、カロー病院の院長ドクターサンライン自身が電話してきた。9時くらいに呼びにくる、準備しているカローのホテルで隔離待機となると言われた。必要な身の回りのものをカバンに詰めた。

 

家族や友人がどんどん知っていった。姉や妹が泣いたりするので、俺が冗談を言ってやらなければいけなかった。死刑宣告を受けたわけでもなし。

 

9時ごろに救急車で呼ばれた。家の状況を見て、俺の弟とおじに外に出ないように、保健所の人が注意した。

 

ホテルについて、部屋に入るまで、電話の音が鳴りやまなかった。保健所の人が、何に接触したか聞いた。そして警察が電話してきて、出来事を詳しくまた聞いてきた。

 

電話、電話、電話・・・しているうちに真夜中になったので、全部切ってやった。休まなければならない、自分を襲ってくる怪物に打ち勝つためには体力が必要なんだから。

 

4月12日、今日の昼に、俺の血液と鼻と喉から検体がとられた。

 

検査結果は陽性ではなかったが、カローのホテルで待機だと、タウンシップの責任者が言った。もし陽性なら、タウンジーのセッサントゥン病院に行かなければならない。

 

もう一点言いたいことは、今オンラインで、俺たちが決められた期間を満了せずに出てきたやつらだとニュースが流れていると聞いた。俺たち全員の隔離に入った日の記録は、俺の(FBの)ウォールに書いてある。いつでも読んでみるがいい。14泊して、保健所の人たちが出した証書を持って、外に出てきたんだ。間違って書いてしまったら、勇気をもって訂正してほしい。謝罪してほしいとは言わない。

 

最後に、思うのは、保健所の管理者たちは、きちんとできていない人が多い。俺が最初に隔離に入った日から書いてきた通りだ。顔にタナカを白く塗って、腰に衣類を身につけていない保健所の管理者たちよ。(訳注:腰に衣類をつけてないって、どういうこと?)

 

現場で働く人たちのためのしっかりとした指示を、上の管理者たちがしっかりと出せていない。

 

俺たちのQuarantineは、僧侶の徳と支援者の気持ち、ボランティアの犠牲の上で、俺はうまく過ごすことができた。

 

再び、再び、間違ったマネージメントが起こって悲しいことが起こらないように祈ります。

おやすみなさい。

 

考察

 14日間の数え方があいまい・・・?

姪は「14日間終了した」と強調していましたが、シャン州政府福祉大臣の発言では14日経つ前に出てきたと言っていました。

 

また、別の医師の音声もFBで聞いたのですが、「ケース29は健康だったから帰した」的なことを言っていました。なので、ケース29は脱走したわけではなく、ちゃんと隔離施設の許可を得て出てきたと考えられます。

 

・・・ということは、14日の数え方がかなりあいまいな可能性があります。もしくは、1日くらいオマケ的な運用が行われている可能性も??あくまで私の想像ですが。

 

隔離対象だった人が全員検査を受けるわけではなく、10%のみ検査している(シャン州政府福祉大臣の発言より)ようなので、「検査してない人もいるから、結果出てないけど帰ろう。検査の10%にあたってしまって俺は運が悪かった」などと考えてしまうのもありそう。元気だったらなおさらです。

 

4月11日より施設隔離が21日間に延び、その後の自宅隔離7日間で合計28日間となりました。これで改善されると良いのですが。

 

(4月13日追記)

ケース29と同乗して来た人の手記を読むと、14日の期間を満了し、証明書も発行してもらっていることがわかりました。

 

ここまで個人情報がさらされる

FBで個人情報はかなり特定されますし、住所はタウンジー市役所が公表してしまっています。日本では考えらないレベルで個人情報がさらされます。(ケース29の家族が病院に行きたがらなかったので、行政も怒ってるのか?)

 

また、タウンジーは小さい町(人口30万人くらい)ですから、うちの夫も地区名が出た時点で「イギリス帰りと言ったら・・・あの家か?」とだいたい見当がついていました。

 

 

余談ですが、ミャンマーのメディアってなんであんなに文章がまわりくどくてわかりづらいんでしょう・・・。特にネットメディア。文章下手すぎて訳しづらい。それに比べたら、政府の公式発表はわかりやすいです。(私の翻訳が下手なせいじゃないよ)

 

患者や隔離対象者も十分注意をしている(4月13日追記)

私自身も、最初にタウンジーの人から陽性が出たと聞いたときは少しパニックになり、「自分勝手なやつが病気をタウンジーに持ち帰ってきた!」と怒りました。しかし、誰も望んで病気を持ち込んできているわけではないと、ケース29と同乗した人の手記を読んで考えを改めました。

 

想像以上に、彼らは注意をしながら帰ってきています。何回も消毒しているし、マスクや手袋もしっかりして、人との接触をなるべく避けています。さらに、14日間を満了したからと言って油断することなく、さらに10日くらい気を付けようと話しています。

 

また、彼の手記から、政府の人やボランティアが朝から晩まで必死に仕事をしてくれている様子が伝わってきました。

 

ウィルスへの恐怖から、ついつい患者や疑い例の人を責めてしまいそうになりますが、それぞれ事情や理由があって、運悪くなってしまった人がほとんど。ウィルス予防のために物理的に距離は遠くしなければなりませんが、心まで遠距離になってしまわないように気を付けたいものです。←うまいこと言った(笑)

 

心の遠距離を防ぐために、この翻訳が役立てば幸いです。ふー、翻訳長くて疲れた・・・。