NGOミャンマー駐在員のハリキリノート

ミャンマーのタウンジーという町で、国際協力をやっています。NGO活動、ミャンマーあれこれ、国際結婚育児ネタなど

たまたま日本に生まれた私が、国際協力をやらなきゃいけない理由

ミンガラーバー(ミャンマー語でこんにちは)

国際協力やってます、鈴木亜香里です。

 

今日は、私が「なぜ国際協力をするのか」について書きたいと思います。ちょっとぶっ飛んだ話にもなるので、ついてこられない人もいるかもしれませんが、お付き合いいただけますと幸いです。

 

 

子どものころに感じた事

テレビでよく見かけるアフリカの子ども

子どものころ、テレビでやせ細ったアフリカの子どもの映像を見たことがありました。そういう映像を見たり話を聞いたりして、何とかしたいと思って国際協力を志した方も多いかと思います。

でも、私の場合は、どこか他人ごとでした。世界のどこか遠くに、大変な生活をしている人がいる。でも、私はまだ何もできない子どもだし、どこかの誰かが何とかしてくれるんだろうと思っていました。

 

日本は世界で第二位だった

同じころ、日本が世界で第二位の経済力(当時)を持っているということも知りました。世界中に200近くの国がある中での、2位!めっちゃ上位です。

これ、私にとっては本当に驚きだったんです。だって、一億総中流時代を生きていて、日本の平均的な生活を送っていた私は、世界中の人がだいたい同じような感じで生活していると思っていたからです。アフリカの子どもの映像は、どこか遠くにいる、数少ない人たちで、世界の大多数は自分と同じような生活をしていると思っていました。

 

学校に行ったり、友達と遊んだり、おなかいっぱい食べられるのは、運がよくて幸せなことなのだと知りました。「私は学校に通って勉強させてもらっているんだから、世界にとって役に立つことをしなければ!それが、2位の国に生まれた者の責任だ!」と思ったことを覚えています。

 

世界がもし100人の村だったら

世界がもし100人の村だったら

 

この本を読むと、日本に生まれた自分がいかに恵まれているかわかります。 必読書です。

 

 

他人ごとが自分ごとに

たまたま日本に生まれたから

私が今の生活を享受できるのは、たまたま日本に生まれたからです。なんで日本に生まれることができたのか、ぜんぜんわかりません。説明できる人、いますか?

自分が良いことをしたから?頑張ったから?・・・覚えていないからわかりません。やっぱり、「たまたま」「運が良かったから」日本に生まれたとしか説明のしようがありません。もしかしたら、ものすごい貧困な国に生まれる可能性もあったはずなんです。

  

生まれ変わったらどうしよう

そして怖いのが、生まれ変わった先のこと。私は、人は死んだら生まれ変わるとなんとなく思っています。私が死んだあとに生まれ変わったら、次の人生はどこに生まれることになるんだろう・・・。恵まれた環境に生まれればいいけど、もし大変な環境に生まれたら、自分は幸せになれるんだろうか。そして、今の世界の状況では、大変な環境に生まれる可能性のほうが、圧倒的に高い・・・。

 

だから、世界を良くしたい

私が国際協力をやる理由は、「自分の来世のため」です。自分がどこに生まれ変わったとしても、絶望することなく生きていける世の中にしたいから。

 

 アフリカでおなかをすかせている子どもは、もしかしたら自分だったかもしれない。

このままの世界が続けば、来世の自分もこうなるかもしれない。

子どものころは他人ごとだったことが、今では自分ごとになっています。

 

そういう気持ちを持っているので、生まれながらの不平等、不公正で苦しんでいる人たちの力になりたいと考えています。アフリカや途上国だけでなく、先進国内でも大変な環境に置かれている人も含めて、みんなが「ここに生まれて良かった」と思えるようにしたいです。自分が死んで、生まれ変わる前に。

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皆が笑顔で暮らせる世界になったらいいね。

 

まとめ:遠くの人のことを想像できるか

卒業論文の「はじめに」にも書いてた

私が大学生のときに書いた卒論(もう10年前!)にも、同じことが書いてあります。内容は同じですが、論文っぽく書いているので参考までに。

筆者は、中途半端な仏教徒である。輪廻転生は信じており、自分には前世や来世があり、生まれ変わると思っている。これは感覚的なものであり、証明することはもちろんできない。

 

しかし、カルマは信じていない。カルマとは、現世の行いによって、来世にどのようにして生まれてくるかが決まるという仏教の考え方である。原始的な仏教の形が最も残っているとされているミャンマーでは、子どもにカルマのことを説明する際、「殺人をすると、来世で障害を持って生まれてくる。盗みをすると、来世は貧しくなる。」というように言う。つまり、障害者は前世で殺人をしたため、貧しい人は前世で盗みを働いたため、その報いとして現世で困難を背負っているという解釈である。カルマは、もともとは来世のために良い行いをせよという教えだったのだろうが、このような解釈もできてしまうのである。しかし、筆者は障害者や貧しい人を見て「この人は前世で悪いことをした」とは思えない。また、前世のような記憶のないことに対して、現世で責任を負わなければいけないということに納得がいかない。よって、カルマを信じていないのである。

 

カルマに影響されない生まれ変わりとは、すなわち、どのように生まれ変わるかわからないということである。時代も、場所も、性別も、何もかもがわからない。確実なのは、生まれ変わるということだけである。とすれば、来世でより幸せに生きるために今できることは、どのように生まれ変わっても幸せに暮らせるような世界を作るということである。

「フェアトレードをフェアにするために コーヒー豆生産者の生活改善という、開発の視点から見たフェアトレード」鈴木亜香里(2008)

 

今は仏教徒じゃなくてイスラム教徒なんですが、相変わらず輪廻転生はあると思ってます(笑)。

 

大事なのは想像力

輪廻転生のことまで考えている私は、想像力が豊かすぎるんですかね?自分ではあまりそう思いませんが。

世界の遠くの人のことを思いやるためには、想像力で物理的な距離を超える必要があると思います。想像できるようになるためには、まずは知ることが大事。ブログで発信することで、たくさんの人に世界の現状を知ってもらって、仲間になってもらいたいと思っています