ミンガラーバー(ミャンマー語でこんにちは!)
地球市民の会ミャンマー駐在員の鈴木亜香里です。
国際協力、NGOという仕事をしていると、「きっかけは何ですか?」と聞かれることがよくあります。私は東京外国語大学のビルマ語卒なのですが、「なぜビルマ語を専攻したのですか?」と聞かれることもしばしば。
ということで、私がミャンマーと関わることになった経緯を書きたいと思います。
究極の2択!?
私とミャンマーとの出会いは、大学でした。東京外語大のビルマ語専攻に入学しました。
ミャンマーのことは全く知りませんでしたが、「あなたの成績だったら、ビルマ語かウルドゥー語しか受からない」と予備校の先生に言われて選びました。
ミャンマーのことで知っていることと言えば、「ビルマの竪琴」という映画があると聞いたことがあるくらい(映画を見てすらいない!)。
ウルドゥーに関しては、何も思いつかなかったので、1ポイントリードのビルマ語を選んだというわけです。
「ビルマ語を選んだ理由は?」と期待いっぱいな顔でよく質問されますが、「成績で選んだ」と言うといつもガッカリされます(勝手に期待して、勝手にガッカリしないでよ!)
消極的な理由でできたミャンマーとの関わりでしたが、今では「運命」だったと思っています。現地で結婚して、永住のつもりでいるくらいですから・・・(笑)。
初ミャンマーで大泣き
大学1年生の春休みに、初めてミャンマーに行きました。初海外で、初ミャンマーです!
現地でビルマ語専攻の先輩と合流する約束をしていたのですが、行きの国際線は一人ぼっち。日本を初めて離れるという心細さで、離陸のときに機内で号泣したのは懐かしい思い出です(恥っ!)。
「ミャンマーで何か困ったことがあっても、日本には助けてもらえないんだ」と思い、これまで日本という国にいかに守られていたかを実感した瞬間でした。
ヤンゴン国際空港に着くと、停電で真っ暗、そしてムシムシと暑い・・・。とても国際空港とは思えない、小さな空港です。空港からの道路も暗く、宿泊先も薄暗くてあんまりよく見えない。テンションダダ下がりです。大変なところに来てしまったと後悔しました。
しかし、日が昇るとともに、私の心も明るくなっていきました。
なんといっても、ミャンマーの人たちが優しく、大感動!初めて会った私たちのために、時間やお金を使ってミャンマーを案内してくれるミャンマー人。料理も美味しくて、一気にミャンマーが大好きになりました。
子供たちの命は、私が守らなきゃ!!
旅行中にお世話になった方は、僧侶が運営する孤児院に連れて行ってくれました。
孤児院の運営は、地元の人々の寄付によって成り立っています。
寄付している人たち自身も特に裕福ではないのに、「子供たちのために」と言ってお米や食べ物を寄付しており、日本との違いに驚きました。
しかし、それでも資金は不足し、子供たちの服はボロボロ、サンダルもなく裸足で、一日2食のみとのこと。
「僧院は本当は男の子しか住めないのに、ここの僧侶は女の子も受け入れている。それをよく思わない人もいるんだ」。
それを聞いて、「子供たちの命は、私が守らなきゃ!!」と使命感が芽生えた私。
大学卒業まで、孤児院支援のサークル代表として活動し、子供服や粉ミルク、お金を持っていく支援を続けました。
国際協力の舞台で働きたいという想いが生まれた瞬間です。
主役は、現地の人
ミャンマーが大好きになった私は、大学3年生が終わったあとに1年間休学し、ヤンゴンに留学しました。
最初は国際仏教大学に通っていましたが、あまりの授業のつまらなさに半年で退学。残りの半年は、日系NGOのヤンゴン事務所でインターンをさせてもらいました。
NGOでのインターンで学んだことは、「主役は、現地の人」ということです。
今まで、国際協力の舞台で活躍する日本人は、一人で現地に行って、バリバリ仕事をして大活躍しているというイメージを持っていました。
しかし、実際に第一線で働いているのは現地スタッフと地元の人たち。
日本人はマネジメント担当で、現地スタッフが仕事をしやすいようにサポートをする役割でした。
本当に現地のことを良くできるのは、外から来た外国人ではなく、そこに住む人たち。
「自分がやってあげなきゃ」という上から目線での支援は間違っている、という当たり前のことに気づきました。
そして、自分たちの地域をよくするために頑張っているミャンマー人たちの姿を見ているうちに、私もその仲間に入れてほしいと感じるようになりました。
与えあい、共に学ぶ
大学卒業後、東京の経営コンサル会社で2年弱働いた後、地球市民の会に入りました。
地球市民の会のミャンマー事業では「与えあい、共に学ぶ」というコンセプトがあります。
お金の面は日本側が支援し、心の豊かさや助け合いなどの精神的な面はミャンマーの人から学ばせていただく、という考え方です。
上から目線での支援ではなく、対等な立場での活動は、私の思い描いていた国際協力と同じでした。
たとえば、地球市民の会がある村で実施した保育園建設。
村の人たちが「子供たちの教育のために」と保育園建設を計画しました。
日本では、学校や保育園は自治体が建設しますが、ミャンマーでは政府の支援がなかなか行き渡らないので、村が自分たちの力で建てる必要があります。
各家からお金を集め、労働奉仕も募って建設を進め、なんとか半分程度できました。
しかし、自分たちの暮らしだけでも大変な環境ですから、なかなか完成までたどり着けません。
そこで、地球市民の会が寄付を募って資金援助をし、なんとか保育園が完成したのです。
現地の人の頑張りに、日本人が資金面でサポートをさせていただく。そして、落成式で完成の喜びを分かち合う。
これこそ私が思い描く国際協力の形だなと思います。
まずは現地を見てみること
国際協力に関わっている人の多くは、私も含め、実際に現地に行ったときに感じた事がもとになっているように思います。
ネットでいろんな情報が手に入るようになった時代ですが、編集を通さず、現地で直接自分が感じることは全く違います。
本物の経験をしたいという方には、まずはNGOのスタディーツアーなどに参加してみることをお勧めします。
地球市民の会でもスタディーツアーを実施していますので、ぜひご参加ください。私がフルアテンドで、いっぱい話します。